二傳小史について

二傳の歴史は、宝暦7年(1757年)、初代 傳七が、当時の京都中央市場にあたる、上ノ店市場【かみのたないちば】内(現在の椹木町通油小路西入ル)に、魚屋を開いたところから始まります。店は二条城への出入りを許され、「二条城出入りの傳七」が詰まり、ほどなく屋号を「二傳」と呼ばれるようになります。

 

いつから始めたか、はっきりとした記録は残っておりませんが、店はやがて時代の移り変わりと共に、商いの手を原料の魚から、それを調理してお宅まで届ける“仕出し”へと広げ、やがてはそれを専業とするようになっていきます。(現在も店に残る、鉢箱の裏書きに「文政 子年」(1828年)とありますので、その頃にはすでに仕出しを商っておりました。)

 

現在の姉小路通油小路西入ルの店舗は、大正2年(1913年)に、5代目の娘婿であった山田丑太郎を店主として開店いたしました。当時は上ノ店の店舗を本店とし、その支店という形でありましたが、昭和2年(1927年)の京都中央卸売市場開設に伴う、上ノ店市場の閉場などもあり、上ノ店の本店はやがて閉店。現在の店舗を本店とし、山田丑太郎を7代目とします。

 

下の写真は大正2年の開店から間もない頃と思われる、店の前で撮影したスタッフの集合写真です。(右端が7代 山田丑太郎)
当時は現在のようなガス火設備、排気設備はもちろんありませんので、店舗の最も外側(道路側)に炭火の火口を設けており、その通風口も見てとることができます。また配達に使用する“おかもち”は、写真のように店の軒先に吊るしておくのが、当時の仕出し屋の看板代わりでもありました。

 

昭和41年(1966年)には、8代 山田光男により店舗の改築を行ない、座敷を備えるようになり、これによりお客様をお店にお迎えすることができるようになりました。

また昭和53年(1978年)からは、「もう少し気軽に二傳の味を」とのお声から、大丸京都店様(現・大丸松坂屋百貨店京都店)地階にて売場を預かり、折詰や和食惣菜、佃煮の製造・販売もさせていただいております。

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